ところで日本はどうなんでしょうか?
「カルマ」という言葉をご存知の方も多いと思います。インド哲学の某先生から「カルマ」とは「行為」という意味だとお聞きしました。ですから、「カルマ」には、個人のカルマも家系のカルマも国のカルマもあるわけです。
今回私は国のカルマを考えてみました。
すると、今の日本の元を創ったと思われる明治にどうしても意識がいってしまいます。明治はご存じのように江戸時代から変わってできた政府ですね。でも、誰も明治革命とは言いません、「明治維新」といいます。
それは、江戸時代には下級だった藩士が日本を憂えて、立ち上がり、天皇をかついで起こした政変交代劇だったからです。民衆から起きた政変ではなかったから革命とは言わないわけなんです。私は、時々、明治時代の中心になった人たちは、西洋かぶれして・・・確かに西洋文明に学ぶところは大きかったでしょうが・・・日本人の自然を愛する心、見えないものに対する尊敬心を薄れさせ・・・・城を壊したり神社と仏閣を融合したりするようなことまでしなくてもよかったのではないかと思うのです。確かにどこの国でも革命がおきると、今までの文化を破壊してから再生に入るようではありますが・・・。江戸まで続いた日本文化を否定する必要はなかったのでは?と・・・それでも疑問に思ってしまいす。
そこで、Wikipediaで現政府の麻生さんの玄祖父にあたるという大久保利通を引いてみました。すると、この1節が目に飛び込んできました。
・・・・・ ≪明治6年(1873年)、内務省を設置し、自ら初代内務卿として実権を握ると地租改正や徴兵令などを実施した。当時、大久保への権力の集中は「有司専制」として批判された。また、現在に至るまでの日本の官僚機構(霞ヶ関官界)は、内務省を設置した大久保によって築かれたとも言われている。≫ ・・・・・
今、明治政府から今日まで続いた「官僚政治」の負の部分に目を向けるときがきた気がします。大久保さんが基を創り、玄孫(孫の孫・やしゃご)の麻生さんが今、この基を考えないといけない時がやってきている・・・。「新しい日本再生の時」なのに、なんか逆戻りしているのを感じます。これが家系のカルマでもあり国のカルマとも言える1つの例とも言える気がします。
今年は、政変の年になる予感がします。私は第3政党が生誕してくれたら有り難いのにという希望を抱いています。渡辺喜美氏が大臣なさっていた頃から、その真摯な姿にエールを贈っていました。「天下り問題」でも各種の障害を乗り越えようとしている姿と真の強さを現す瞳に惹かれました。その大臣が、「天下り問題」の最後の防波堤が守れた時に流した涙とその姿勢は今でも忘れられないできごとです。
今年、その真を貫くために「解散賛成」にまわり、自民党の中でたったお1人お立ちになった姿の中にも、マイクを向けられて応える姿の中でも「瞳」をみていました。「瞳」全体に苦渋の選択が読み取れました。白目が赤くなっていたのも印象に残りました。しかし、そこからは、何者にも動かされない不動心を感じ、「真の侍」をみた思いで家族でエールをおくりました。
私たちは、常々、表の言葉に踊らされがちですが、その人の「潜在意識」「深層の心」を一番現すのが「行為」と「瞳」だと思われます。
2009年から始まる政局も含めた混迷を乗り切るには、この不動心から出る言動こそ大切だと思っています。真に国民のことを考えるからこそできる真摯な姿なのではないでしょうか。「不況」「派遣切り」「犯罪の多発」・・・ぐずぐずしている間はないのに・・・という思いでいっぱいです。政治に関わる方々が、国民の目線にたって本当の政治をやっていただきたいと節に願っています。
これが、念頭にあたっての願いであり、祈りです。 makiko
info@i-quest.jp ←コメントや感想、または、メールカウンセリング(無料)はこちらからお願いいたします。
下記のブログランキングに登録しております。1人でも多くの方の目に触れていただけますように・・・クリック応援をよろしくお願いいたします。ありがとうございます。





