フランス在住の方からルルドの聖水をいただきました。思いがけないプレゼントにとても嬉しくなりました。かわいい瓶やマリア様の瓶やもっと大きいボトルなどがルルドの泉の近くのお店で購入できるそうなのです。
かわいい瓶の方の聖水は、早速家族で飲み干しました。マリア様の瓶の方の聖水は、瞑想の前に使用させていただいています。また、グーグルアースでルルドの泉を検索してみました。たくさんの方々の写真を見させていただき、仮想現実を楽しむことができました。ありがとうございます。
そこで、今日は「水」について書いてみようかなと思ったわけです。
「水」
ルルドの泉に限らず「キリスト教」では、確か洗礼のときに「水」が関わっていたように思います。宗教と水との関係は、各国いろいろあるのではないでしょうか。
さて、日本ではどうでしょう。
私は、今日の朝、近くの神社によってから出勤しました。誰もが「手と口」を水ですすいでから参拝しますね。そういえば、昔お伊勢参りする人は、五十鈴川で心身を清めて参拝したようです。きっと、長旅のほこりを落とし、お風呂にも入れずに来た道を振り返りながら川の水で身を清めたのだろうなーなんて創造しました。
それから・・・「水」・・・あるとき、水の記憶について質問されたことがありました。科学者でもない私には、ものすごい難題です。ただ、「記憶」というものをどの次元から考えるかによっても答えは異なる気がしています。その前に・・・・
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「水の分子」は誰でも知っているH2Oですが、クラスターという語を聞いたことのある人もいらっしゃると思います。下記は「水の話」からの引用です。興味のある方は、下記のサイトをご覧ください。
・・・・■■ ―水のクラスターは短寿命で生まれ変わる
水の話をするときによくクラスターという言葉が出てきます。化学ではクラスターは次のように定義されています。「2個以上の分子又は原子がファンデルワールス力や水素結合などの比較的に弱い相互作用で集合したものをクラスターと呼ぶ。」 液体の水は水素結合によりクラスターを形成している代表的な物質です。
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私のはあくまで体験論です。
① ある時「おいしくご飯がたける水は?」という実験をしたことがあります。
同じ種類の米・水につけておく時間・熱加減などは同じにし、Aは水道水、Bは「おいしい水」で実験しました。確かにBの方がおいしく炊けました。しかし、もし、これでこの水を売り出すと仮定したら・・・ある一定のデーター、つまりいつでもどこでも誰が炊いてもある程度の恒常性があること・・・・
それは、不可能に近かったのです。これの答えは、上記クラスターの性質です。そこに私が何故気づいたか?
ある水(おいしいと言われた水)のボトルにある日、何気につまずきました。そしたら、昨日と同じ結果が得られなくなってしまったのです。また、継続して同じ実験していると「ちょっと心がぞんざいになったりもしました。その時も結果は違ってきてしまったのです。
つまずいたという物理的原因でいえば、クラスターの形が変わってしまったともとらえられます。ちょおとぞんざいに扱ったために味がかわったのをみて「記憶」とも言えるでしょう。
しかし「記憶」というより、人の心のもつ微細なエネルギーがクラスター内の原子の世界に影響を与えたともとれるのです。ここに以前「クオンタム」というサイトを紹介したブログを掲載しましたが、どうやらこれが関係していると見ています。
たとえば、こんな実験もしています。
②「ありがとうございます」と言いながらお米を洗米したものとそうでないものを炊き比べると「ありがとうございます」の方がおいしく感じます。某テレビで東北の年配の方が作るおにぎりが評判となっているというのを放映したことがありました。
何故おいしいか。水もお米も普通品です。違うのはおばあちゃんの心。使うお米にありがとう。炊くときもありがとう。握るときもありがとう。買っていただいてありがとう・・・だったのです。こうした例は結構あるように思います。
こうしたことから、人の気持ちに作用を受けることは確かなことだと思っています。
「愛・感謝・信頼・許し」などのもつ心の精妙なエネルギーは水をうるおし地球をうるおすように思います。
「命の水」に太陽の光や土、そしてある意識がのると思わぬ奇跡も起きるかもしれません。「水へ感謝」します。 makio
←5月23日。残り席あとわずかです。日常のひとこまブログも更新してます。





